人の死
母の病気が重いかもしれない。
が、割と心からどうでもいい。
悲しくはない。
こんな人間だということのほうが、ずっともっと悲しい。
いつも悲しむべき時に悲しめないことが悲しかった。
親戚の葬式の時も、病気の時も、いつも。
あるいは時に悲しさより恨めしかった。
親戚の葬式の時、おまえらはいいよなと思った。
おまえらが総出で作り上げたモンスターによって破壊された人生の代償なんてただのひとつも払わずに、なにひとつ考えずに、天国に行くんだものね。いいなお前らはさ。いいよな。いいな。いいなあ。地獄におちてくれと願っていた。頼む。神様なんていないかもしれない。それでも頼むから、頼むから、どうかお願いだから、せめて地獄におちてくれ。
因果応報なんてない。葬式の席でいつも私はそう思っていた。おまえたちは普通に生きて、普通に死に、葬式をして、悲しんでくれる人がいる。
笑えるぐらい世の中は不公平だし、私は誰から何と思われてもお前たちに地獄へ行ってほしい。
ファウストを読んで絶望したのは、たったひとりの祈りで地獄へ行くべき人間すら救われたこと。天国への簡易エレベーターに乗ったこと。
それぐらい簡単にお前たちは天国に行ける。じゃあお前たちが正しいだろうよ。
私はこんな人間になりたくなかった。地獄におちろと思わないように、ただ来世では二度と関わり合いたくないねと必死で思っていた。こんな馬鹿げた努力を親戚連中の葬儀で繰り返していた。
悲しむ時に悲しめるまっとうな人間になりたかった。無理だよ。無理なんだよ。そういう人間にはなれなかったよ。せいぜいどうでもいいだけだった。
母が2年後に死ぬかもしれなくてもなんにも思わなかったよ。その頃には全員と縁切っておかないとな、だよ。思うことは。だからよかったのかもしれない。もう二度と帰らない。そう思えるから。
怖いのは、この人の葬式にも多分何にも思わないことだ。悲しいかもしれない。それでも憎悪はそれを相殺できると思う。そうしてちょうど中間地点で、宙ぶらりんなまま、ちゃんと悲しむことはできない。
だから嫌なんだよ。日本のドラマの、後悔しますよって脅し。葬式に出たって後悔すんだよ。まっとうな感性を持ち合わせてない自分との隣り合わせに絶望して叫び出したくなるんだよ。わかんないなら口閉じてろよ。お前らみたいな奴らに何度だって何度だって何度だってトドメを刺されてるよ。社会不適合者なんてわかってんだよ。頼むから、判で押したような善人ごっこに台紙がぶっ壊れてる人間を押し込もうとしないでくれよ。